約15年前、RO相方に実際に会いにいって大後悔した話
頭脳明晰なるROプレイヤーの皆様方、いかがお過ごしでしょうか。あんごーつーかの鉄砲玉、かるねです。以前ツイッターで次回のブログのネタのアンケートをとったところ、
そろそろブログ更新しようと思いますがどんな事書くか悩み中ですー⁉️⁉️
— レイジー話なげーよwww (@Carnet_RO) August 8, 2019
はい、さすが陰湿・陰険なROプレイヤーの皆様方、他人の不幸オモシロ話、いわゆる黒歴史が大好きなんですね。ええ、私もぶっちゃげこの類の話、大好きです。だって同じゲームをやっているからこそ分るこのリアリティー感、オフ会とか相方とかそういうの聞くだけでワクワクしちゃいますよね。
さて本題に入りましょう。このお話はMMORPGの黎明期、またラグナロク・オンラインの全盛期に起きた、何とも言えない後味の悪い「#ROいいなエピソード」であります。
今から10年以上前、当時の私はリアルJD、つまり天下無敵の女子大生だったわけです。ちなみに私のROキャリアのきっかけはこちらになります。
当時、米国に住んでいた私はAOLチャットで日本語学習のため日本人の高校生と交流してた。ある日教えられたのがRO。全てが新鮮でその頃は海外規制もなく毎日時差を越えてイズルードで遊んだ。その甲斐もあってその後日本へ留学、定住。その時の人達とは今でも仲良し。#ROいいなエピソード
— 大神官カルネス (@Carnet_RO) August 7, 2019
高校まで米国で育った私は日本の慶應義塾大学にチート入学(英語無双)します。当時の私はいわゆるスポーツバリバリの陽キャだったんですが、まぁクラスにはいわゆる陰キャグループもあったわけです。そして前期期末試験のころ、陰キャグループの子らの英語の勉強を手伝ってあげてると・・・趣味の話とかになり、なんとそのグループでROが流行っている事がわかったんですね。
当然、陽キャオブ陽キャの私がそんなものをやっていると思っていない面々が、私の前でよく知ってる話を繰り広げるわけです。レクイエムがどうとか青箱がどうとか。私は最初面白いから知らんぷりしてたんですがね、とうとう耐え切れなくなってこういったわけです。
「あのさあ、君たち勉強する気がないならプロンテラ集合!時計でアラーム狩りいくよ!」
その時の陰キャどもの唖然とした表情と、直後の盛り上がりっぷりは今でもドン引きする程覚えています。
そんなわけでその日から私は陰キャグループの姫、つまりオタサーの姫になったわけですが、もう毎晩ネットパーティーですよね。
先ず今は亡きマイクロソフトメッセンジャーを起動して、ROにインします。当時は特にやる事もありませんでしたから裏でハンゲームの大貧民やらスカッとゴルフパンヤをするんですね。またポトリス2なんてのも流行ってました。あ、ボンバーマンもあったしパワプロもあったよね。もう毎晩ゲームにチャットに大忙しでした。パソコンとか常にポコペンポコペンいってましたからね(メッセの音)。
やがて時が経ち、クラスでのROブームも去っていきます。陰キャってのはいざ大学デビューしたり彼女ができると途端に手のひらクルーなんですねぇ。私は相変わらずリアルでもテニスサークルの全塾で優勝したり、陽キャ生活と陰キャ生活を掛け持ちしていました。だんだんリア友とレベルも合わなくなり、PvPにハマった私はいわゆるGvギルドへ単身羽ばたき、持ち前のコミュ力であっという間にギルドの中心的な存在になります。だってもう陰キャの扱いには慣れてましたから。まあここでもともと姫やってたプリとかネカマに徹底的にネットいじめを受けるという洗礼もきちっと経験してるんですが、その話は今はおいておきましょう。
そしてしばらくして、とあるギルドにいたAGI騎士に「相方になってくれ」という突拍子もない事を言われます。私はネット上の相方なんて考えたこともなかったし、「いったい何いってんだこの人」と最初は思ったのですが、何事も経験という好奇心が働き、承諾します。まあ最初の数か月は特にこれといった変化もなかったんですが、もうみなさんわかりますよね?やっぱり来るんです、これが。「リアルで会いたい。」というフェンリルも真っ青の真のパワーワードが。
当時の心境を振り返ると、まぁ私も興味はありましたよね。毎晩ずーっと同じ時間を共有してる相手が一体どんな人なのか。もしかしたら超絶イケメンだったりして・・・?とか。そうですね、たしか当時は妻夫木聡みたいなのをイメージしていましたね。だって似てるって言われたとか言ってたし。
で、私は東京にいたんですが、万が一こじれたら後が面倒なので、こちらから会いに行くという選択をしました。そして相手はなんと四国に住んでるっていうじゃないですか。
それまで四国に行った事は無かったんですが、思いもしませんでしたよ。今後の人生において四国が黒歴史になるなんてこと。
待ち合わせ場所は高松空港。到着時刻を教えて、指定された場所へ行く私。もう心臓バックバクどっきどきですよ。すると、長身のひょろっとした男性がこちらへ来て・・・
「あの・・・かるねさんですか?」
きたああああああああああああ、これぞディープ・インパクトですよ。初対面の人からもうハンドルネームでリアルで呼ばれるこの感覚。オフ会で経験はしてたけどまぁなんとも滑稽だよね。
「はい・・・。」
第一印象は、お笑い芸人の麒麟・田村にソックリ!です。まぁ期待した私が悪かったですよ。お前、妻夫木との共通点てその無造作ヘアだけじゃねーかよ!
そして私は田村の車に乗り込み、おすすめのうどん屋に連れて行かれる事になります。
いや、別に普通なのかもしれないですけど、ふと冷静になっちゃいましてね。なんで私、今から田村とうどん屋に行くんだ・・・?って。
そして気になったのが、ずっと右手に黒い手袋してるんですよ。彼。え、この人まさか・・・ネットではネタになってたけど、これもしかしてあれ?リアル厨二病でなんか封印されてるのこの右手!?って。だって、指先はでてる手袋してましたから。我慢できなくなり私は理由を聞いてみました。すると、
「あ、これ?今朝ゴルフいってきたんよ、打ちっぱなしの!!」
アーよかった、封印されたなんちゃらじゃないのね、邪王炎殺黒龍波がでてくるんじゃなかったのね、あー良かった!・・・・
と思ったのも束の間、でももう昼過ぎじゃん、何で手袋つけたままなん・・・!?
それから唐突に始まるゴルフ自慢話。なんでもオヤジが好きでオヤジに習ってて、よくオヤジと打ちっぱなしに行くんだとか。なんでもゴルフやる人は地元でも限られた特権階級なんだとか・・・。
まさか、この人、この手袋突っ込まれ待ちでずーっと朝からつけてたとか・・・ないよね?ないよね?
ところで米国育ちの私もゴルフはたまに家族でやっていたスポーツです。なんていってもNY近郊にはゴルフ場がいっぱいあるし安いしカートでグリーン以外は全部行けちゃうし、まあなんだ、聞いてみたんですよ。どんなコースに良くいくの?と。
「かるねちゃん、解ってないようだから教えてあげるね。ゴルフっていうスポーツはね、紳士のスポーツでね、礼儀が一番大事なんだよ。だから下手クソなのにコースを回るなんてのは論外なのさ。オレはまだコースに出られるレベルじゃないから、オヤジと一緒に打ちっぱなしで修業してるとこなんだよね。」
これを聞いて私の脳内は「ちょwwwおまwwww」という当時流行してたVIP用語が文字で浮かびましたよほんとに。親子で修業ってお前、サイヤ人かよ。
そして私はハッと気づきます。これは私の知ってるタイプの陰キャではない、と。東京の大学にいるような陰キャじゃない、と。私は少し舐めていたのです。私は帰りの便を予約していない事を思い出し、青ざめました。
と、ここで長くなったので一旦やめておきます。
ところで、これまだ続ける?もうおなか一杯じゃない?私もうこれ黒歴史すぎて、正直書いてていっぱいいっぱいなんですよ。いまだに讃岐うどん食べるたびに思い出すくらいトラウマなんですよ。ちなみに当時の私、この後田村と四国一周してるからね。お遍路さんもびっくりだよ。あぁもうこんな黒歴史書いてたらほんとに黄泉返りしちゃうよ!
注※文中で陰キャなどの侮蔑表現を使用しておりますが、あくまでネタとして言っているのであり真に受けないでくださいお願いします。陰キャとか陽キャとか関係なくROプレイヤーの事大好きです。じゃないとこんなゲームやってないわ。